つながることとつながらないこと

Ubiquitous という言葉が数年前から使われるようになった。

Ubiquitous の語源はラテン語で、いたるところに存在する(遍在)という意味である。

現在この言葉は、「いつでも、どこでも、インターネットなどの情報ネットワークにアクセスできる環境」を指すものとして使われる。

Ubiquitous computing は、メインフレーム(複数で一台を使用)、PC(一人一台)、に続く、一人が複数のコンピュータを使う第3世代を示したもので、マーク・ワイザー氏が提唱した。

確かに自分自身ずっとこういう仕事をしてきているので、自分の使うネットワーク環境の整備も行ってきている。オフィス、自宅はもちろんのこと、出先でも携帯電話やPHSを使ってなんとか接続するということを行ってきた。最近はホテルでもインターネットサービスは一般的になったし、公衆無線LANが利用できる場所も増えた。いつでもどこでもネットワークに接続できる環境が整ってきた。

この数日、テレビで「携帯依存」という話題が取り上げられている。これは、携帯電話をいつも持ち歩き、メールと電話で連絡を取り合いながら生活していて、携帯電話がないと不安になるという精神状態から始まり、さらにそれが高じて、携帯電話で提供されるさまざまなネットサービスに過剰にはまり込み、挙句の果てにその中の有害なサービスの被害に会うということで社会問題化しつつある。特に子どもがそうした有害サービスにアクセスし、巻き込まれることが大きな問題になっている。

情報ネットワーク技術はあらゆる分野に浸透し、生活を便利にしてきたことも確かである。産業もこの技術によって大きく発展してきた。この技術のおかげで間違いなく、変化は早く、激しく起こるようになっただろう。あふれる情報の中で生きていると、その情報から途絶することは大きな不安を感じる。経済活動はそういうものだからやむをえないといってしまえばそれまでだ。しかし、間違いなく、この中でストレスは増大しているだろう。最近の経済危機は、金融問題に始まり、実体経済に確実に波及しつつある。情報に一喜一憂し、株価は乱高下している。

たしかに情報ネットワークが途絶すると、デマやうわさが飛び交うようになり、これはよくない。災害時の正確な情報伝達は重要な課題だ。災害時にこうしたサービスをいきなり使えといっても使えるものではないので、平常時からそれに慣れておく必要がある。私も荒川コミュニティネットのプロジェクトでは、平常時の利用の促進、コンテンツの充実を訴えてきた。これは訓練が必要ということであって、依存を求めているものではない。

依存というより、中毒の問題は別の原因があるのではないだろうか?

さて、つながることで便利なことを考えるには、つながってなくてもできることやつながらないときにどうするかをもう少し考えてもいいのではないかと思っている。「そんなことをわざわざネットにつながなくても。。。」ということである。これは中毒のことにも関係するかもしれないが、つながらないときの工夫を、もっとちゃんと考えてもいいと思う。

ネットワークにつながれば簡単に問題を解決できる。しかし、そうしなくても手元にちゃんとそれなりの能力とリソースが存在している。まず先にそれを活用することを考えてもいいのではないだろうか?そして、手元のリソース、能力、アプリケーションとの連携をもっと積極的に考えることで、もっとネットワークサービスは充実するはずだ。つながっていないとなにもできないというサービスの構築方法は、決して望ましいものではないだろう。つながっていないとできないものは最小限にとどめる必要がある。

それこそが、本来の分散コンピューティングのあるべき姿ではないだろうか?

最終更新日: $Date: 2008-11-24 09:19:13+09 $

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