RT100i-usersメーリングリスト
こうして稀有の国産ルータとしてYAMAHA RT-100iは、デビューした。住友商事には、ネットワーク機器を扱う子会社があったので、主にそこでの取り扱いになった。新たに、ヤマハのルータを売るために加わった、谷山さんという、現在は独立して、匠技術研究所の代表をしている人が中心になって販売に奔走した。
RT-100i は、ISDNだけでなく、64Kbps, 128Kbps の専用線にも対応していたし、機能はどんどん向上していった。実売価格は、10万円を切っていたはずなので、当時の環境としてはネットワーク構築においては、画期的な製品だったはずだ。
いろんな機会にインターネットをプロモーションしたい私にとっては、ISDNがあればネットワーク間接続までできて、完全なプレゼンテーションができるツールだったので、いろんなところに持って歩いた。
それに、私もああいってしまった以上なんとか応援しないといけないし、若干のロイヤリティもいただけるということになったので、いろいろとやってみることにした。当時まだ、NIFTYのインターネットフォーラムの SYSOP も続けていたが、どちらかというと凋落傾向にあり、フォーラムでサポートするというよりは、もっとオープンな仕組みのほうがいいだろうと思った。
そこで、当時 IIJメディアコミュニケーション(IIJ-MC)という IIJ の子会社でさまざまなサービスを検討していて、たわいもない話だがメーリングリストをやろうということにした。メーリングリストは、自分でサーバの管理をしていれば何の問題もなく設定できるが、パブリックなメーリングリストを管理するのは結構骨が折れる。私たちは、そのようなものは慣れっこだったので、Majordomo と、distribute を組み合わせてメーリングリストをサービスとして提供してみた。今にして思えば、これだけで、有料にできるようなものではないわけだが、いろいろなものを誰でも使える状態にするというのも当時は重要なミッションだったと思う。
ところが、メーカーとしては、そうした場を設けると、クレームばっかりがあがってきて対応に苦慮するのではないかという懸念があり、抵抗があった。結局位置づけとして、正式サポート窓口ではないが、半ばファンクラブ的な位置づけではじめたのではないかと思う。
現在までに延べ 40,000通に近いメールが飛び交ったメーリングリストには、最初は私も加わって使い方の情報交換をした。ヤマハの若い技術者の人たちも参加して、おそらく当時としては画期的なコミュニティを形成したのではないかと思う。
私はこのほか、UNIX magazine の連載で、ネットワーク構築の解説をするときには、ことあるたびに、RT-100i の設定を事例として取り上げるなどして、盛り上げていった。
IIJ が三番町のオフィスに移ったあとだったと思う。当時IIJ はCISCOのルータを利用していたし販売もしていた。CISCOもたしかISDNルータを出していた。IIJの専用線サービスでは CISCO を使っていて、そこを置き換えるような話ではなかったのだが、当時の日本CISCO の役員だったかに、突然電話をいただき、お小言を頂戴した。
しかし、電話を切ったあと、おもいっきり万歳を叫んだのは言うまでもない。
YAMAHA のルータは、まちがいなく大ヒット商品になった。
私がかかわったのは、RT-200iという、ISDN4ポートの商品ごろまでだったと思う。その後は、MEXで高速ネットワークの構築に移っていったので、ヤマハとRTは、件の谷山氏とヤマハの広瀬さんが中心になってサポートし、育てていったと思う。
現在は、YAMAHAルータはISDNだけではないが、この分野では信頼あるメーカとしての地位を確立していると確信している。
最終更新日: $Date: 2008-10-17 22:51:49+09 $






