インターネットという道具の安心、安全

 インターネットは新しい道具であるために、既存の枠組みには収まり切らないことがある。大きな話としては、放送と通信の問題に代表されることだが、実際に問題が起きるのはもっと小さな身近なことだ。インターネットの利用にはコンピュータが必要だ。インターネットは紛れもなくコンピュータネットワークの一つである。ネットワークに繋がったコンピュータそれがインターネットの実態だ。

さて、このコンピュータというのは厄介な道具だ。人工知能と言わないまでも、コンピュータは人間に指図をするように感じることがあるのではないだろうか?コンピュータではプログラムが動作し、プログラムによってさまざま動作が行われ、それがサービスを提供する。プログラムは人間が作ったものであり、作った人間が書いたあるルールや意思に基づいてコンピュータが動作する。もちろん、選択するのは利用者なので、利用者が望まないことは起こらないはずである。しかし、その裏では別の意思が存在すると考えるほうがよい。そういう厄介な新しい道具なのである。

この隠れた意思を本能的に排除する人もいる。実績のあるおとなに多いのだが、コンピュータに指図されているとでも感じるのか、自分の思い通りにならないことを極端に嫌う。その傾向は、単純な機能の携帯電話を好み、スマートフォンを嫌うということに現れる。 これに対して、子どもはそうではない。そもそも指図をされるのは普通のことだし、そうしたことに先入観がない。したがって、コンピュータやスマートフォンをパートナーとして受け入れやすい。

道具を使う人の行為

 新しい道具であるがゆえに、いままでのルールが適用されないと思うのは大きな間違いだ。それを使う人(自然人、法人)の行う行為は、その道具や、場所が変わっても同じように扱われる。法律が適用されないわけではない。それどころか、インターネットの性質によって、もっと深刻な事態を引き起こすこともある。そのためには、まず必要なことは、ネットワークとコンピュータはあくまで道具であることをはっきりと認識することだ。その道具を使って、いいこともたくさんできる代わりに、悪いこともたくさん起こるし、悪いこともできるのだ。

 よくネットの向う側に人がいることを認識しようと言われるが、それこそインターネットは、電話にも手紙にもテレビにもラジオにもなる。誰もがテレビ番組を作って流すことができる。確かに誰かに断らないとできないわけではないし、許可を受けなければならないわけではない。これが勘違いを起こしているのかもしれないが、だからと言って、その番組の内容に責任がないわけではない。同じように責任が発生するのだ。

 スマートフォンが登場して、インターネットはとても身近になった。スマートフォンのカメラ機能と合わさってSNS (Social Network Service) は、とても便利なものとなり、人によっては、人生を豊かにするために欠くべからざるものになったのではないだろうか?

 インターネットの利用で最近大きな社会問題となるのも、このSNSの利用が多い。アメリカ大統領は、就任前からTwitter を使って、自分の考えを発信し、それが世界の動きに大きな影響を与えている。SNSは多くの人に使ってもらうことが目的であるので、多くの人に公開された情報を発信することができるようにしている。

しかし、SNSの道具としてのメリットはそれだけではない。SNSは、電子掲示板(BBS)と呼ばれた時代から考えると、インターネットではメールの次に古いアプリケーションの形態だ。したがって様々な機能が提供されてきたし、組み込まれている。このようなツールを使って我々はネットワーク自身の議論を行ったり、ソフトウエアを開発したり、研究を行ってきた。そうした過去の経験は新しいシステムの機能の中にも生かされている。 ところが、非常に高度な機能を有するものが今は無料で提供されている。25年ほど前、パソコン通信と呼ばれた時代は、利用者は、利用時間に応じたかなり高い利用料を支払って、こうしたシステムを使っていた。それが、今は無料で提供されている。その上、その運営会社は非常に大きな利益を上げている。利益の由来は広告料であったり、一部の特別な機能の使用料であるのだが、無料で利用しているユーザはその理由を一度くらいは考えてみたほうがいいだろう。その上、新しいサービスが日夜生まれてきており、これらのサービスが新たなユーザを獲得しようとしているのだ。

サービスに潜む「毒」

 こうしたシステムには、新たな利用者をたくさん獲得することを可能にするような、いわば「毒」が仕込まれている。この毒がコンピュータに潜む別の意思の一例だ。新しいものほど、毒が強いだろう。その分魅力的に映る。たとえば、「無料通話アプリ」はスマートフォンの連絡先のデータを全部、サーバに取得してしまうということがある。利用者にはアプリケーションのインストール時に許可を求めるようになっているが、多くの利用者は無警戒に許可してしまう。「無料通話アプリ」という触れ込みのアプリケーションだから、電話を掛けるための連絡先にアクセスするのは必須なんだろう、と思うのは自然なことだ。サーバに保存された連絡先のデータは、別にそれが他者に流通するわけではない。しかし、別の人がやはり同じようにアプリケーションをインストールすると、その連絡先とのマッチングを行い、つながりがあることを発見すると、その「無料通話アプリ」なるものを自動的に利用可能にしてしまう(もちろん、ここにも許可を求められているはずなのだが、大方のユーザは無関心である)。

 このような機能は、多くのSNSが持っている機能で、さまざまなリストを検索して、ユーザ同士のつながりを実現するようにしている。残念ながら、新しいユーザはそれに対して無警戒である。最初は、そのアプリケーションが利用できることに対する新鮮な驚きや興味が楽しいと感じるだろう。

実社会とネットの距離感の違い

 実社会では、コミュニケーションは物理的な距離の制約があり、遠くにいる人がそこに介入することは容易ではない。しかし、インターネットにおいては、すべての人との距離が同じだと言ってもよい。実社会では、グループで行っている会話が知らない人に聞かれることは隣で聞き耳を立てられない限りは聞かれない。しかし、インターネットではその会話は、意識して聞かれないようにしていなければ、世界中の人に均等に聞かれてしまう。

 SNSや無料通話アプリを利用している人は、自分が投稿したものが、誰に見られるようになっているかを確認してみたほうがよい。思わぬ人があなたの書いたものを見ているかもしれない。

 パソコン通信の時代、匿名性に関する議論が盛んに行われた。日本では、匿名が好まれる傾向にあるようで、匿名での投稿を擁護する傾向がある。私も別に匿名が悪いことだとは思わない。しかし、インターネットの利用が本当に匿名になっているかどうかはよく考えたほうがよい。筆者の場合、自分の考えを広く知らしめることを望んで、投稿をすることも多いし、雑誌の記事などの出版物もあるので、意識して公開している。しかし、匿名を望む人の場合には、ごく個人的な嗜好に関する活動をしたいのだからということで、それを望むことも多い。場合によっては、自分の勤めている会社の立場には反するかもしれない本音を言いたいと思ったりして、匿名を望むこともある。

 ただ、これも匿名だからといって、責任を問われないというものでもない。匿名に対するある種の勘違いである。匿名での投稿が保護されるのは、内部告発などの場合で、法律によって保護されるものだけである。そうでない場合には、匿名として法的に保護されるわけではない。なにかしらの社会的損害が生じた場合には、追いかけられることにはかわりない。匿名だからといって何をしてもバレない、責任を問われないと思うのは大間違いである。

 もう一つは、匿名だと思っているが、まったくそうはなっていないことに気づかないということだ。まず、利用している SNS のプライバシー設定の問題である。前に述べたように、SNS は多くの利用者を獲得したいという「毒」があるので、なんとかして公開しようとする傾向がある。社会的に有名になったサービスでは批判にさらされることが多いので、プライバシー保護に力を入れるようになるが、残念ながら最初からそうだとはいえない。だから、よく確認したほうがいい。

 次に、本人を特定できるような情報を投稿していないかということに気を付けるべきである。顔写真を投稿することが危険なことは言うまでもないが、車に乗っている写真、家の写真、どこに行った、どこで買い物をしたというような投稿。複数の投稿から本人を特定することは可能となることがある。写真の位置情報は、SNSシステム側で、重要なプライバシーとして削除されるようになっているが、十分注意すべきである。

 そして、その周りには悪意のある人が潜んでいる可能性があることに留意すべきである。これも、実社会では距離の制約があるが、インターネットではその制約はない。世界中から等距離にあることに気を付けるべきである。

優れた道具との付き合い方

 さて、ではこうした道具とどう付き合っていくべきだろうか。私たちはインターネットを推進したい立場であるし、インターネットの利点をよく認識している。だから、リスクと上手に付き合いながら使っている。

 道具というものは安全なものばかりではない。実社会での代表は刃物だろう。彫刻刀で手を傷つけた痛い思い出を持っている人は多いだろう。そうした痛い思いをしながら道具の使い方を覚えて行くのは必要だということも確かだが、こうしたものは状況によっては禁止される。航空機への搭乗においては、刃物をはじめとして、鋭利な工具、道具の持ち込みが禁止されるのはよく知られた通りである。食事用のナイフとフォークも乗客が手荷物としては持ち込むことはできない。

 全寮制の中高一貫校では、所持品として、はさみとナイフの持ち込みは禁止されている。紙を切るための樹脂製のはさみは、売店で供給されている。(なお、学内では、スマートフォン、携帯電話も禁止されているが、保護者との連絡は入学時から電子メールであり、一定の基準でパソコンを利用したSNSを始めとしたインターネットの利用は許可されている。)

 このように、閉鎖空間では、リスクのあるものを禁止することはある。一定のコントロールを持った状況でしかその利用を許さないということには合理性はある。しかし残念ながら、インターネットやスマートフォンという道具に関しては未熟であることは否めない。 十分な教育や、訓練が行われているという状況ではないことも確かである。その方法が確立しているわけでもない。ところが、この道具には大きなメリット、可能性がある。

 確かに、バランスよく教育を行う中で、この道具の利用を行っていくことが望ましいことは事実である。なんとか、むやみに恐れることなく、正しくそのリスクを教育しつつ、その活用法を模索していく手段を確立すべきだろうと思う。

 確かに、そこに潜む大きなリスクは経験したことがないことは確かである。しかし、これを排除してしまったら、それを有効に使うことを教育する機会すら失ってしまうことにもなる。

 この新しい道具に対する、おとなの感覚と子どもの感覚とを上手に折り合いをつけることが必要だ。それこそが未来につながる知識ではないだろうか。そのためには、すくなくとも家族で一緒に話し合いながらこの道具を活用することは、一つの方策ではないだろうか。

最終更新日: $Date: 2017-02-06 22:22:32+09 $

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