インターネットの電子メール(2)

さて、この後1990年ごろに向かって、電子メールの接続性は急速に拡大していく。 1991年にコペンハーゲンで、INET’91 が開催されたとき、パーティで一緒になったヨーロッパの研究者の名刺には、インターネット形式のメールアドレスだけでなく、X.400のアドレスが書いてあって、かなり新鮮に感じた覚えがある。

しかし、件の %!@:: の著者の Donnalyn Fray が 1992 年ごろに来日して、話をした時には、『もうほとんど “@”だけでどこにでも電子メールが届くようになってしまったので、私の本のタイトルはどうしましょうね。』ということを言っていて、この間の変化はとても急速なものでもあった。

IIJの設立が1992年でサービス開始が翌年から、それに先行することAlternet (UUnet)のアメリカでのコマーシャルベースのインターネット接続の開始が、1990年で、それまでさまざまな形で行われていた中継が不要になって、DNS技術を中心とするメール配送システムが実現したわけである。

さて、複雑なメール中継が行われた理由は、学術・研究用ネットワークを介して、コマーシャルなトラフィックを中継してはいけないというルールが厳格に存在したために、それを守るために行われたという問題があり、根本的に電子メールが一般の通信手段としては、まだ確立していなかったといえる。多くのゲートウエイでは実験としてそれぞれ行われていることも少なくなかった。

日本のWIDE による、パソコン通信との接続もそうだし、アメリカのMERITで行われていた、Compuserve との接続もそうだ。

日本では、JUNETは大学だけでなく、民間企業も参加していたが、海外とのメールのやり取りをするためには、大学は、東大とNSFNETのゲートウエイを経由して、民間企業は KDD研究所と UUNET とのゲートウエイを経由してメールを交換する必要があった。したがって、アメリカから日本の理化学研究所に送るためには、kddlab!rkna50.riken.junet!rXXXXX@UUNET.UU.NET というような表記をしなければならなかったし、日本の民間企業からアメリカに送るためには、user%merit.edu@kddlab.kddlabs.junet としなければならなかった。

日本の JUNET では、ドメイン形式のアドレスを使っていたものの、トップレベルドメインは、.junet を使っていた。これを米国のNSFNETに米国以外の国が接続するのに伴って、トップレベルドメインとして、ISO-3166 に定められる2文字で表される国別コードを使うということになった。日本は、.jp である。このときに、.junet で使われていた名前を移行するのに、文字数を合わせてバイナリレベルでもパッチを当てられるようにという噂もあったが、属性を導入することになった。これにより、ac.jp, co.jp, ne.jp, ad.jp が誕生した。

アメリカでは、edu, com, net, org という組織の属性を表す 3文字の TLD (Top Level Domain) が使われていたし、イギリスでは、co.uk, ac.uk などの属性付のドメイン名を使用していたという事例もあった(ただしイギリスの国内ネットワークでは、当初ドメイン形式逆順で表記するメールアドレスも使われていた。user@uk.co.site 形式)。 コマーシャルインターネットの拡大によって、経路を細かく指定する必要がなくなったことによる変化は電子メールユーザの急速な増加、普及も促していく。このようにして、compuserve は、user@compuserve.com になり、NIFTY-Serve は、user@niftyserve.or.jp (当時) になった。他の、メールシステムを採用していたシステムにおいても、この形式のメール扱うためのソフトウエアが作成されて、利用できるようになった。 しかし、1990年代には、広域の IP 接続はまだ普及しているとはいえない状況であった。いまは、Web によってすべての情報にアクセスできるようになったが、まだメールだけがよりどころであることが少なくなかった。

Web のない時代、メールとニュース(NetNewsなどとも呼ぶ)がコミュニケーションの中心だった。ニュースのことはまた別に書く機会があると思う。

そのため、メールだけでさまざまなことを行うサービスが存在していた。最近はメルマガと呼ばれることもあるが、メーリングリスト、メールの同報通信がまずその一つだ。もちろん、これは今でも存在しているし、活用されている。

メールの自動応答サービスもかなりいろいろあった。IP接続が普及すると、Anonymous FTP や、Web によって置き換わったが、メールにコマンドを並べておいて、順に処理してファイルをメールで送ってもらうというものだ。これは、初期の JPNIC の情報サービスで使われていた。Web でなんでもできる時代になったので、いまさらその使い方を書かないが、そうして工夫をしていたということは認識してほしい。

メールの技術的の変化の要素は、LAN (Local Area Network) の広がりである。最初は、そこそこ大きなコンピュータにログインして、そのシステムに届いて、ファイルに書いてあるメールを読み、そのシステム上でプログラムを起動してメールを送信するという形態であったが、Ethernet による LAN の登場で、まずワークステーションが普及し、さらにパソコンがこれらと接続するようになる。ワークステーションは概ね UNIX を搭載しているので、それぞれはメールを送受信する機能が備わってはいる。しかし、ディスクレスワークステーションの登場など高速なLAN機能の普及に伴い、メールをそれぞれのホストに配送するということよりも、LAN 接続されたコンピュータ群の中で、1つのホストをメールサーバにしたほうが便利だという状況になった。これでほぼ現在のシステムに近いものになるわけだが、以下のような状態になった。

MTA-MUA.jpg

MTA (Mail Transfer Agent) と、MUA (Mail User Agent) の分化が起こり、MTA が動作するメールサーバと、MUAの動作するクライアントとが別の様々なコンピュータで動作するようになった。

 メールを送信する場合には、MUAも MTA も同じ SMTP を使用する。

 メールの受信については、POP と IMAP というプロトコルが作られた。最初に作られたがPOP(Post Office Protocol)であるが、POPは、UNIXの場合 mbox 形式(メールを順にくっつけただけの1つのファイル)を読み取るもので、ローカルの mail コマンドとほぼ同様の単純なものである。これに対して後に作られた IMAP はサーバ側でメールを保管することを前提として、フォルダ管理などの高度な機能を備えるものである。

 受信側の POP は最初からメールボックスへのアクセスのためにユーザ認証が備わっている。これに対して、最初は SMTP には認証機能はなかった。MUA からの中継に際しては、IPアドレスの制限だけで、それ以外の機能は備わっていなかった。

 そして、MUA を持ち歩いて接続することが行われるようになって、MUA から MTA へメールを送信するときに認証を行って送信する機能が付け加わった。

 この後、インターネットが商業化して、ダイアルアップ接続サービスなどで個人がインターネットを利用するようになり、この機能を応用するようになっていく。

(つづく)

最終更新日: $Date: 2016-11-05 10:41:34+09 $

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