ライブドア事件

MEXは、2004年9月1日東証Mothersに上場した。

そして、2005年6月に上場後、最初の定時株主総会を迎えた。当時まだ、パワードコム(TTnetから継承)が筆頭株主であり、また設立当初の株主が多数残っていて、総会の成立や議決に大きな不安があるわけではなかった。しかし、当然、一般の株主の出席もあり、緊張して望んだが、幸いにして大きな問題はなく無事終了した。

しかし、問題はこのあと起こる。パワードコムは、KDDIに吸収合併されることになり、持ち株を売却したいということになり、一部は市場で売却された。上場したばかりにもかかわらず、大株主不在の状況になった。当時、私はまだ5%強の株式を保有していたと思うが、安定した株主構成といえる状況ではなくなった。もちろん、業績面で安定していて、金融機関や機関投資家がある程度まとまって保有するような会社になっていればともかくとして、時価総額3, 40億の会社にとっては大いに不安な状況といえた。財務側の人間にとっては、次回の総会の成立自体を危ぶむような状況で、安定株主対策を検討しなければならなくなった。

このとき私は、Ripgate の開発や、ネットワーク監視系のシステムなど、いくつかのソフトウエアプロダクトをなんとかMEXの技術力の証明にできないか検討していた。大きな金額の投資は、利益水準が悪化する中で、市場に説明できないと反対を受けたが、なにもしないでいればもっと悪くなるので、模索を続けていた。

このあたりからは、私の記憶の中では、感じたことの印象が非常に強くなるため、事実とは異なるかもしれない。このあたりは関係者の名誉のために断っておきたい。

さて、安定株主対策については、私たち旧世代の人間が行動すると、NTTグループだったり、富士通だったり、日立だったりが浮かんでくるので、あえて財務の佐藤君らを中心に自由に動いてもらった。この時期は、ネットバブル崩壊から立ち直り、ミニネットバブル的な要素も現れてきた。ライブドアが急速に頭角を現し、近鉄球団の買収や、ニッポン放送の買収になのりをあげたり、派手なパフォーマンスが目立ってきたころだ。ライブドアに限らず、ネット系企業の業績は好調であり、楽天、GMO、ネットエイジグループ、海外勢では、なんといってもGoogle 急成長がめざましいと認知されたころだろう。

さて、そうした中で、ライブドアが候補として浮上してきた。ライブドアはMEXとはそれまでわずかな取引関係しかなかったのだが、あれだけ目立っていればしょうがないことだったろう。しかし、MEXにはライブドアと敵対する楽天が、大口ユーザとして存在していたので、ライブドアとの関係は、この大口ユーザとの関係を悪化させることは必至の状況となる。しかし、楽天とMEXとの関係は、昔にくらべて希薄になってきていた。かつては、楽天の開発部の分室がMEX内にあるくらいの状況だったが、もはや楽天のオペレーションはそうではなくなっていて、当初の技術メンバーの大半が楽天を離れていた。

ライブドアは、楽天が全面解約してもそれを自分たちが十分補うことができるという自信を持っていた。そして、51%のシェアを第三者割当と、既存大株主であるパワードコムなどから取得したいという申し出になった。

ライブドアはかなり性急に強引に提案を行ってきたために、個人的には、かなり混乱して、なにかすべて自由を奪われてしまうような気がした。それに、外から見ているライブドアの行動や、ライブドアのサービスには、なにかうさんくささを感じていた。しかし、パワードコムがKDDIに吸収され、代わる安定株主を必要とするという財務側の意見に無碍に反対するわけにもいかず、ついに堀江氏、宮内氏と会って最終合意をするという状況になった。私が彼らに会ったのは、後にも先にもこの1回だけとなった。

彼らは私たちの技術陣を非常に尊重してくれ、ライブドアグループ全体の技術に対してかかわって欲しいということで、私はMEXの代表取締役会長を務めるという条件であった。また、当時ライブドアの取締役で、事件後社長の代行を一時務めた山崎氏は、私がIIJにいる当時、IIJの大株主のSI会社の社員で、その会社の出身者が他にもいたため、私の警戒感は薄れていった。また、ライブドア傘下に買収された会社には興味ある会社もあったので、進めることになった。

そして、2005年11月にライブドアとの業務資本提携が実現した。

しかし、翌2006年1月、ライブドアとの具体的な行動は全くなにも起こしていないうちに事件は起こった。

最終更新日: $Date: 2008-10-17 00:58:00+09 $

Copyright (c) 2008-2010 by Shin Yoshimura. All rights reserved.