MEXのその後とネットバブルの到来

MEXのコンセプトは、自分たちがオペレーションするのに快適で、それを利用者にも提供する施設であった。当時のコロケーション設備は、キャリアの設備でかつて通信機器が多数収容されていた場所を、利用したもので、人が頻繁に出入りしてオペレーションするには不向きな環境であった。インターネット技術はまだまだ急速な変化の途上であり、技術者も少なく、少人数でのオペレーションを行うには、自分たちの居場所と設備が隣接しているほうが望ましいと考えた。同時に、ユーザにとっても快適な滞在居住性を確保することを目指した。後に、独立したデータセンターでは同様の設備も登場した。

そのため、サンシャイン60という通常のオフィスビルの中に設備を持った。もっともここは東京電力の都内最大の拠点であり、その系列の会社という点では実はサービス的にも最適な場所でもあった。

しかし、IX系事業者3社の中で、MEXは当初もっとも経営的には苦しかった。

一方で、ユーザとして、JPIX に接続し、バックボーンを TTnet で構築するという構成で始めていた。それまで ISP は第二種電気通信事業者が行うというスタイルであったのが、NTTのOCNの参入以降、各キャリアがこぞってISP事業への参入を行うという時期でもあった。そのため、TTnetの開始する TTCNとも歩調を合わせていくことになった。

ほそぼそとサービスを継続するも、1年半はめだった顧客も存在せず、内輪の会社だけで賄っていたようなものだ。これに対して、JPIXは株主となる会社がすべて接続して、NSPIXP と同等のサービスだけを提供するものの立ち上がりは早かった。KDDにコロケーションしている事業者は構内接続となる有利さがあった。やはり、当時はまだ専用回線が非常に高価であり、経営的な体力の小さいISP事業者にとっては大きな負担であった。

そうこうしているうちに、パラパラとコンテンツ事業者にサービスを利用していただけるようになった。WIDE の関係で、慶応大学の学生がかかわっていたベンチャー企業が利用してくれるようになった。もちろん、楽天(当時MDM)の契約はその後のMEXの成長にとって大きなものとなった。楽天も慶応大学の学生のつながりで当社に紹介があった。

その当時楽天は、アークヒルズの地下4階にマシンを設置して、AT&T JENS の1.5Mbpsの回線を使ってサービスをしていた。私は、楽天市場のサービス開始から、やっと日本でもこのようなサービスが始まったんだなという思いで、東急百貨店など最初11店舗だったと思うが、ショッピングモールサイトを見ていた。

実はネットワークカタリストも設立時にはアークヒルズの地下4階にオフィスを置いていた。このスペースは森ビルがアカデミーヒルズのプロジェクトの一環で好条件で提供してくれているものだった。私は、WIDEの関係でちょうど紹介を受けて、1年あまりお世話になった。楽天とは時期として重なってはいないものの奇遇な話だった。

楽天の契約は最初は最小単位(1ラックと10Mbps)での契約だった。しかし、彼らは急速にサービスを伸ばしていった。この後、ネットバブル がやってくることとなる。

MEXは、こうしたコンテンツ事業者が必要とする接続性がもっぱら国内に終始することか ら、国際回線への投資を抑え、国内回線の増強に注力することで、初期の ISP が国際接続重視型であったものから、格安ともいえる高速接続を提供した。

MEXでは、こうした顧客の急速な拡大が始まり、内部でやっている人間が大きな手ごたえを感じていたのだが、決算上の数字はあまり芳しくなかった。しかし、幸いにしてアメリカではいち早くネットバブルが到来し、IIJ が NASDAQ に上場することになった。1999年の8月のことだった。IIJ の株価は、数か月の間に急速に上昇し、私はその売却益で大きなお金を得ることになった。

MEXも手ごたえを感じていたので、増資を行い事業拡大をしたいという提案を行った。しかし、数字には表れていないので、一様の賛同を得られなかった。ただ、私はIIJの売却益を手にしていたので、それによって増資をするということで、2000年1月、私と従業員、そして TTnet だけは 34% の比率を維持するように増資に応じていただくことができ、倍額増資を行った。

予想通り、MEXは急速に売り上げを伸ばし、あっという間に設備もほとんど全部埋まってしまった。このときに増資に応じなかった会社の方からは、後にいろいろと言われたが、数字にはまだ表れていないものを精一杯説明したものの理解を得られなかっただけで、別に隠していたわけでもなんでもない。それくらい変化は急激だった。

そのため更なる拡大のために、ベンチャーキャピタルからの出資を仰ぐことになった。この当時、日本もネットバブルの上昇期で入っていたので、こちらからお願いに行かなくても、ベンチャーキャピタルの側から営業的コンタクトが多数あった。2000年11月に、10億あまりのお金を集めたが、われわれの計画は結構コンサーバティブであったために、海外勢からは、よりアグレッシブな計画を持っているアメリカに事業者にくらべて魅力が乏しいということで、どたんばでキャンセルされた。

しかし、アメリカでのネットバブルにはすでに崩壊の兆しが表れていて、微妙な時期に差し掛かっていたことも事実であった。

最終更新日: $Date: 2008-10-15 14:51:30+09 $

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